昔とはまるで違うアプローチで指導することが望まれる部活動。
「怒鳴る」「殴る」が当たり前だった時代とは、180度変わり「褒めて伸ばす」「個性を尊重する」ことが重要になってきました。
しかし選手を「叱る」ことは本当にいけないことでしょうか。
何でもかんでも認めたり、許したりしていては、良し悪しの判断が未熟な子どもにとっては、大人になったときに適切な判断ができない可能性があります。
「叱る」ことは必要ですが、その「叱り方」を変えれば、それは子どもの成長に繋がるものです。
今日はその叱り方についてご紹介していきたいと思います。
私も某大学でバスケットボール部の監督を勤めていますが、基本的に怒鳴ったり叱ったりしません。
極論言うと、今起きていること、取り組んでいる姿勢が今自分が思っているベストだと言うのであれば、それらの責任の所在は私にはないのです。もし体たらくな姿勢が続いているのであれば、それらが招く結果は試合に出れない、勝てないというネガティブなものとして本人に帰ってきます。逆にひたむきに努力を続けているものは何かしらのポジティブな結果で現れます。
私は「試合に出たければ頑張りなさい、頑張らなかったら試合に使わない、それだけだよ」という感じです。
社会に出たら1から100まで手を差し伸ばしてくれる人はいません。
その中で自分で考えてやっていくしかない世の中なのです。
監督というのは演奏隊の指揮者の役割であり、基本的に微調整程度でいいと思います。
そして基本的に好きなバスケットボールをやっているわけですから、「楽しい」という気持ちは損なわせたくないです。
「上手くなって楽しい」「試合に勝てて楽しい」「仲間といて楽しい」と楽しみ方は人それぞれですが、チームのミッションに沿った楽しみ方は尊重すべきと思うのです。
とは言うものの、日本の部活動は人格の形成を目的ともしているので、人間形成を育む場でなくてはなりません。
体系的に学び、主体的に動き、仲間たちと共存し、目標を達成していく学びは通常の授業では学べないことが多いです。
そういった場で「怒る」「叱る」ことも重要になってくると考えます。
例えば私の場合、日常的には基本怒ったりしないので、ここぞと言うときに怒ります。
それは怒鳴る方法ではなく、理詰めタイプです。
「君たちの目標は?」「その目標はどうやって達成できるの?」「今の練習は目標達成できる内容か?」「できないのは何故だ?」などと、ネチネチ系です。
怒鳴ったり、気分で怒るパターンは「やべえ、怒られた」という事実しか彼らの頭には残りません。
なぜ怒られているのか、原因は何なのか、そういった原因を追求していく姿勢は、今後の力にもつながっていくのです。
また面白いなと思ったのは、多賀少年野球クラブの辻監督の「叱り方」の提案内容でした。
「表情と声のトーンが子どもたちへの圧力になるので、口角を上げて小さな声で叱る方法を試してみるのは良いかもしれませんね。褒める時は大きな声にして、注意は小さな声で。声のトーンだけでも与える印象は変わります。それから、選手のプライドを傷つけないように同級生や後輩、保護者の前で叱るのは避けた方が良いと思います。」
つまりは、指導者が愛情を持って選手を指摘しても、声が大きいと罵声に捉えられるケースがあるという。大きな声で叱るのは「子どもたちへの圧力になってしまう」ということなのだと思います。
また叱るポイントも大切になると訴えられています。空振り三振や失策を叱る指導者には疑問を呈し「選手がトライした結果に対してではなく、全力疾走を怠るなど、できるのにやらなかったことを叱るべきだと思います。やらないことと、やれないことの違いです」と語られていました。
指導者の言葉は選手の成長にも、モチベーション低下にもつながり、たとえ同じメッセージでも、伝え方で印象は大きく変わります。
バスケットでいえばシュートを「打つな」と言う指導者は未だいます。
バスケットはシュートの本数で勝敗を決めるスポーツなのに1番の醍醐味を否定されては全く面白くないでしょう。
私は「打つな」ではなく、「打たないこと」に怒ります。
もし自信がなくて打たないと言うのであれば、自信がないことをそのまま放置していることに怒ります。
世の中は結果が全てです。子どもたちはその結果を出すためにはどうすればいいかという「過程」を学んでいます。
そういった気づきを与えることが監督、コーチは大事であり、ポイントで「叱る」「怒る」という引き出しを用意していくことは非常に大切であると思います。
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