・「俺ってマジ運ないわ」
・「いいよね運ある人は」
日常の会話で何か起きるたびに「運」を言い訳の材料にする人は割と多いのではないでしょうか。
そもそも運というのは本当に存在するのでしょうか。私はそうではなく、「ただ自分の行動を説明しているだけ」のように思います。
そういった「運の悪い人」と自称する人たちが、気づいていないことについてお話ししていきたいと思います。
そもそも神様は存在するのか?
あなたは神様がいると思いますか?
「いる」という人もいれば、「いないとは思うけど神頼みはするかな」という人もいるかもしれません。
これは私の個人的な意見ですが、「神様はいないんじゃないかな」と感じる確率が高いとは思っているんです。
デジャブのような一度体験したこと、見たことあるような現象。
集団の中で、全く意図せず同じ行動、言動を起こしたり。
こういうのは奇跡とでも言うのですかね。
この奇跡が起きた理由を説明しろと言われてもなかなか難しいですよね。
こういった、なんとなく説明のつかない出来事ということが起こる人や起こす人がごくたまに存在する。
だから、厳密に「神様がいない」とは言いづらいかなって思っています。
自分だけ不運だと思い込んでしまう
運が悪い人は「自分はなぜ、これほど社会にいじめられなければいけないんだ」とか、「俺は仲間はずれにされている」と思い込んで、自分は運が悪いから、もう生きていても仕方がない……という極端な発想に向かってしまうのです。
彼らの目には、幸せな家庭を持って暮らしている人や、きちんと仕事に就けている人が、「アイツらは運が良くていいな」と映っており、自分のことを「自分は運に見放され、神様にも見捨てられた人間」と思い込んでしまいます。
自己愛が満たされていないと、ひがみっぽくなったり、攻撃的になってしまうこともあるため、余計に孤立することになります。
この思い込みが「運を悪くしている」原因かもしれません。
私が好きな考え方の一つで「シャンパンタワーの法則」というのがあります。
シャンパンタワーとは、シャンパングラスをピラミッド状に積み重ねて、上からシャンパンを注ぐセレモニーです。結婚式などで、たまに行われたりします。
そのシャンパンタワーの1番上を自分、2段目を身近な人や家族、3段目を友だちや一緒に働いている仲間、4段目を地域、コミュニティと考えてみましょうか。
一番上が満杯になって2段目3段目と水は流れていきます。つまりは自分が一番満たされていないと他人を幸せにすることはできないのです。
思い込みが激しい人、ネガティブな人は自分を犠牲にしがちです。まずは自分を満たすべく行動してみてください。
そうすると自然と幸せや運、思考というのは良い方向に転換していくかもしれませんよ。
「運の悪い人」が気づいていないこと
例えば、「デート中に鳩のフンが落ちてきた」「毎回目の前でバスや電車の扉が閉まってしまって、自分は運が悪い」というエピソードを交えて「俺は運が悪い」アピールする人がいたとしましょう。
物事の考え方によっては、全然運が悪くないと思うんですよ。
やらかした出来事、失敗談って割と後から笑い話になることが多いのです。「しくじり先生」なんかもまさに過去のしくじりを笑いに変えてくれてる番組ですよね。
つまり「笑いに変えれるエピソードができた!」と思えば全然運が悪いってわけでもないのです。
これを機に「自分は運が悪い」と思っている人は、自分の行動や考え方を振り返って、改めてみるのもありかもしれませんね。
コメント