皆さんはご自身の子供に対して、どのような「夢」を抱いていますか?
・大手企業に就職してほしい
・一流大学に進学してほしい
・プロアスリートになってほしい
「子供に期待してしまう」というのは親は誰しも抱く感情なのではないでしょうか。
しかしそれらがエスカレートしすぎてしまうと子供の可能性を壊してしまう可能性があるのです。
親が子供に対して『こうしなさい』、『こうすべきだ』、『それではダメだ』などのメッセージは子供の行動力を一気に半減させてしまうことを理解していない親が多いと思います。
今日は、「子供の行動力や意欲を失わないためにはどうすべきか」という点についてお伝えしていきたいと思います。
「強制」ではなく「見守る」
私はバスケットボールを幼少期からしていたので、自身の子供にも是非してほしいと思っていました。私の父もバスケットボールをしていたので、きっと私に対して同じように思っていたと思います。実際私がバスケットボールを始めた理由は父の「半強制的」が理由でした。
憧れのバスケットボール選手が私にはいたおかげでバスケットボールを途中でやめずにいられました。そしてバスケットボールを通じて様々な経験や色々な仕事ができています。結果的に幸せを感じていますが、当時は試合の日に家に帰れば試合の説教や明らかにイラついている態度で家の空気は最悪。
意欲的に始めたバスケットボールに対する情熱が薄れている時期もありました。
そして私もあの当時が嫌な思い出であったにも関わらず親のエゴから「半強制的」にバスケットボールスクールに入会させようとしていたのです。しかし強制からは何も意欲は生み出すことはできず、本人がしたいことを尊重しようと「何やってもいいよ」スタイルに変えたのです。
すると本人が幼稚園で発表した将来の夢は「バスケットボール選手になること」、急に家でシューティングをしたり、自分から「バスケットボールチーム」に入りたいと言い出したのです。
何やってもいいよから本人はやりたいことを見つけました。それが子供にとってバスケットボールだったのです。
知人の子供はバスケットボールをさせたいがあまりに無理強いをした結果、バスケットボールが嫌いになったそうです。
今振り返るとその原因は自分達のせいだったといいます。
親が子どもをコントロールしようとしたことがよくなかったのではないかと思います。
『こうしなさい』、『こうすべきだ』、『それではダメだ』とずいぶん正論を言って、こちらの言う通りにさせようとしたのかもしれません。
成功したアスリートの親も比較的「子供の好きなことをやらせた」という人が多いのではないでしょうか。
そのアスリートのインタビューに、「親御さんはどんな関わり方をしてくれたの?」という質問に対し、判で押したようにこう答えていました。
「親はあまり何も言いません。でも、放任というわけでもなく、見守ってくれているなという感じはあります」。
私の知人のお話を裏打ちするような言葉だなと思いました。
できない、やらないは遺伝のせいではない
よくあるパターンを紹介します。
うちの子は強制しないとゴロゴロだらだらしてばかりなので、他のお宅はどうだか知りませんが、うちの場合はやらせないとだめです。
皆さんも同じ悩み抱えている人多いのではないでしょうか。
人間は全て「赤ちゃん」を経験します、何らかの身体的原因があって「できない」ことがある赤ちゃんはいますが、好奇心や学びたいという欲求のない赤ちゃんというのはいません。生きていくためには経験や知識を取り入れなければいけないからです。
もし好奇心や学びへの欲求のない子どもがいるとしたら、赤ちゃんから育てていく過程の中で、
「好奇心を持つこと、学ぶこと」を何らかの経験によって、「いけないことだと学んだ」のかもしれません。
たとえば
・動くものを触ろうとした。
・口にいれようとした。
・見たことのないもの見つけて近づこうとした
こんなことがあったときに制御したことありませんか?
もちろんこれは当然です。
しかし「普段は自由に動くことが許されていて、危ないことだけ止められる」というのであれば、
「あ、これはダメなことなんだ」と気づくことができるのですが、
あれもダメ、これもダメ、が続くと、「あーもうダメだらけだから、もういいや」と自分では思考停止して、「この人の判断に任せた方がいいや」ということになります。
あるいは、ちょうどよいチャレンジ課題ではなくて、難しすぎることをやらされていると、うまくいかないことだらけでやる気がなくなります。
当然「子供のため」の、指示、命令、禁止や「やってあげる」は子供の可能性を潰しているとは思ってもいないでしょう。
間違えてはいけません。
自分から好奇心で動いてはいけません。
失敗しないようにやってあげます。
あなたは何もできない子どもだから、とても見ていられないから、大人がコントロールします。
子どもはそう育てられたのです。
その結果、好奇心がなくなってしまったのです。
やらないのは親からの遺伝ではありません。
大人の責任です。本人の責任ではありません。
ゴロゴロだらだらするのは、やりたくないからです。やることの意味がわからないからです。
面白くないからです。
できないかもしれないからです。
だとしたら、その原因を見つけて、対応を考える必要があります。
原因に対処する必要があります。それをするのは、育てる大人の役割です。
親に「依存」する子ども
基本的に、成人を超えたら、もしくは寮の設備が整っている進学先があるのなら家を出させて自立させたほうがいいと思っています。
あなたがもし口酸っぱく何事にも発言する親であれば、きっと子供は「1人では何もできない」状態になってしまいます。
このときはどうすればいい?
同じ状況だったらどうする?
と、「そんなこと自分で決めなさいよ」と思いたくなる内容ですら親にアドバイスを請うようになります。
いやいやそういうふうに育てたのは大人の責任なのです。
さらに過干渉がエスカレートしたり、お互いの依存関係が強まったりします。
仲良く楽しくやっていっていると感じるのであれば、それでいいと思うのです。
もっともいい関係性は、お互いが「依存」しているのではなく「尊重」している間柄です。
子供は親のアドバイスであっても、多少は聞き流したり、参考程度にするようでないと聞いたらいけないんですよね。
親は子供の選択肢を増やす程度で、その決断は本人に委ねさせなくてはならないのです。
親に正解を求めたり、言った言わないの論争をするような関係性なら、ちょっと見直したほうがいいかもしれません。
過干渉である自覚があるなら、意識的に距離をとってみて、自分で考えて自分で決める大人になることです。
コメント