レブロン・ジェームズ「ラストイヤーは息子とプレーする」

NBA

10歳からバスケットボールをはじめ、日本一を2度経験。
プレイヤーとしての夢は病気の影響により断念したが、「成長過程にいる男たちを、いっぱしの男にしてやりたい!」という思いを胸に、バスケットボールコーチしてます!また大学事務職員として教学マネージメントを担当。リアルな観点から「教育」「子育て論」「コーチング」などについて情報を発信していきます!

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皆さん、こんにちは!Coach Kです!

本日、オールスター2022が開催されましたね!NBAファンとしては年に1回行われるバスケットボールの祭典はどんなドラマが待っているのか非常にワクワクするものですし、最後の接戦の展開は痺れるものを感じました。

そんな中、前日のメディアデイでレブロンがコメントした内容が大きな話題を呼びました。今日はその内容についてお話をしていきたいと思います。

キャブス復帰「扉は閉ざしていない]」

現在所属しているレイカーズは今季不振を極め、一時「またキャブスに戻ってきてくれるのではないか」と復帰説が囁かれました。今季中ではないとしても、可能性がないわけではないようです。レブロンはキャブス復帰について質問されると、次のように答えたようです。

もちろん扉は閉ざしていないよ。
戻ってきてプレイしないとは言っていない。
未来のことは分からない。
僕はいつフリーになるかさえ分かっていないんだ。
結局のところ、誰も未来のことなんて分からないさ。

匂わせますね〜。これ女性に対しても期待させるような発言をしたりするタイプなんですかね。笑
冗談はさておいて、レブロンはその時がきて、その時に1番大事にしたいものを優先させるタイプなのでしょう。これまでの移籍についても、毎回目的が異なっていますしね。この詳細については【発言を振り返る】で触れていきたいと思います。

息子とプレーするのが夢

長男のブロニーが最も早くドラフト指名を受けられるのは2024年。レブロンは夢の1つと語る息子と一緒にプレーしたいとの気持ちを実現できる機会が徐々に近づいてきています。そのワクワク感をレブロンは隠すつもりもないようです。2024年とは定義しないが、彼は「現役最後のシーズンは息子と一緒にプレーすることになる」と発言し、「それがどこであろうと、ブロニーのいる場所が僕のいる場所になる。1年間、息子と一緒にプレーするために必要なことをする。その時点でお金は問題じゃない」と言っています。レブロン親子争奪戦となるFAが楽しみですね!
レブロンは来年の夏には38歳になりますが、今もオールスターには名前でなく実力で選ばれており、大きなケガをしない限りはまだ長くトップレベルでのプレーを続けらられるでしょう。そのタイミングでベテラン最低保証額を受け入れてブロニーを指名したチームに行くとは思えないですけどね。トップレベルでのパフォーマンスを維持できている間は、レイカーズと新たな契約を結ぶにせよ、他のどこかになるにせよ、高額年俸を受け取るとともにそれに見合う責任を引き受け、優勝を目指してプレーすると思います。親子で一緒にプレーすることはNBA史上初となりますが、こんな歴史的瞬間を観れるかもしれないと思うと、非常に楽しみですね。

移籍のたびに異なる理由

さて、レブロンは、身体能力がずば抜けていながらもジャンプシュートが打てない19歳の選手から、マイアミ・ヒートでは万能型のモンスターになり、クリーブランド・キャバリアーズとの2度目の所属期間中は、3ポイントショットも打てるパスの名手へと変貌していった。そしてレイカーズではセンターをも務める超オールラウンダーへと進化し、ジェームズはキャリアを通して劇的にプレイスタイルを変化させてきました。彼がバスケットボール選手として成長していくのを見るのがとても楽しいのと同じくらい、彼がFA市場を使って自身の運命を操るのを見るのも楽しみの1つでしたね。



ジェームズは世界一の選手という自身のステータスを使って、選手としても個人として必要なものを手にしてきました。次の移籍先として候補にあがるのは「息子とプレー」でしょうね。
どこが移籍先に選ばられるか全く想像もつきませんが、これまでの移籍劇を振り返ってみたいと思います。

発言を振り返る

ヒート:優勝への道

2010年のヒートへの移籍は、最も問題視されたものでした。「The Decision」と銘打たれたこの動きは、レブロンがリーグで最も嫌われる選手となるきっかけとなり、移籍後レブロンのユニフォームが燃やされるなど大暴動が起きました。
地元オハイオ州を去るだけでなく2時間の全国放送テレビを見させられたことに、キャブズファンは怒りを覚えました。キャブズをNBAファイナルに導くのではなく、ドウェイン・ウェイドとクリス・ボッシュとチームメイトになることを選んだ事実に、リーグ中のファンは激怒したのです。
しかしこれは純粋にバスケットボール的な判断であり、ジェームズが優勝するという功績を手にするために必要な移籍だったのでしょう。
2014年にジェームズは「クリーブランドを去った時、僕は使命を負っていた」と『Sports Illustrated』に語っています。

「優勝することを目標としており、2度優勝した」

2009年にイースタン・カンファレンス準決勝で敗退した時点で、レブロンはボストン・セルティックスのビッグスリーを倒すには駒不足であることを理解していた。確かに全盛期を過ぎたシャキール・オニール、デロンテ・ウェスト、モー・ウィリアムズというロスターは決して十分ではなかったですね。
ヒートでの日々は、ジェームズがマイケル・ジョーダンのように優勝を経験するチャンスと思ったのでしょう。
レブロンはヒートの移籍を「大学4年間のようなものだった」と語っていました。批判は多かったですが、様々な経験をしてグレードアップしたレブロンを見ると判断は間違っていなかったですね。

キャバリアーズ:帰還

キャブズへの復帰を表明した、心こもった手紙はバスケットボール的な判断ではなく感情による判断であることを表していた。

私がマイアミでプレイすれば影響を与えられる事は分かっている。しかし地元でプレイすればより大きな意味を持つ事ができると思うんだ。私の財団法人を通して支援しているアクロンにいる数百人の小学3年生たちのようなノースイースト・オハイオにいる子供達に、大人に成長するのにここより良い場所なんてない、と思うようになってほしいんだ。大学が終わった後、彼らは地元に戻って家族を作ったりビジネスを始めたりするかもしれない。それを見たら私は笑顔がこぼれるだろう。これまで厳しい日々を送ってきた我々のコミュニティーは、才能を持った若い人達ができる限り必要なんだ」

レブロンが最初にチームを去った時の傷は、まだ完全に癒えていないのは明らかだった。ダン・ギルバートの熾烈な手紙やキャブズファンのリアクションに傷ついたことを彼は認めました。そして数多くのジャージが道端で燃やされていた光景を忘れられる人はいないでしょう。
レブロンがいれば、ヒートは毎年ファイナルに進出できたでしょうし、再び優勝もできたはずです。しかし感情がそれに勝ち、クリーブランドに戻る必要があったのでしょうね。

その時点で、キャブズが優勝できるようなチームではないことをレブロンは理解しており「優勝には程遠い」と発言していた。当時、カイリー・アービング、トリスタン・トンプソン、ディオン・ウェイターズを怖がる相手は誰もいませんでした。

それでもジェームズは地元に帰ることを選び、そして2016年には優勝という形で約束を果たしました。

レイカーズ:ビジネスの時間だ

地元に帰る決断から4年後、ジェームズの考えは再び変わっていました。

クリーブランドは常にジェームズの心の拠り所となるだろうし、彼もキャリアをクリーブランドで終えることを常に思い描いていると語っていました。しかし平均的なロスターと、ひどい契約であふれており、なんとかキャブズでイースタン・カンファレンスを制したものの、ファイナルではゴールデンステイト・ウォリアーズにスウィープされ、全てはレブロンの移籍を指していました。

もし当時彼がバスケットボール的な判断を下し、マイケル・ジョーダンという亡霊を追いかけたかったのであれば、なんとかしてボストン・セルティックス、フィラデルフィア・76ers、ヒューストン・ロケッツあたりに移籍していたと思います。しかし今回は優勝しなければならないという思いより、バスケットボール後の人生が重要で、ビジネスを優先させました。

レブロンは常にMVP候補でいそうな気もしますが、いずれ彼も時の翁に直面することとなります。レイカーズへの移籍は、彼がキャリア晩年に差し掛かっていることを理解していることの表れでもあったのでしょう。

巨大なメディア会社を作り、ハリウッドでのキャリアを始めるのに最高なのがレイカーズと判断し、レブロン以上にそれを理解している人はいないと思います。。自身が成功するために必要な場所に身を置くことに関して、彼は常に一歩リードしています。ビジネスマンとしてのレブロンも、そうあり続けるでしょうし、次は父としての決断を最優先させることでしょう。



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