昭和、平成、令和と時代と共に生活のノーマルが激変していっているのと同じように、あらゆる面で「昔とは違う」という部分が増えてきました。
例えば私が専門的に行っていたバスケットボールは「背が高い人はインサイド」だった時代が、「背が高い人もガード、アウトサイドでプレーができる」のが当たり前の時代になってきました。
もちろん他のスポーツも指導法や戦術などはかなり変化していってることでしょう。
そんな時代と共に、自分自身も変化していかなければならないのに、いつまで経っても過去の自分に甘えたり、怯えたりする臆病者はたくさんいます。そういう人に限って「俺はこんなに頑張っているのに…」と考えてしまうもの。
今日はそう考えてしまう人がめちゃくちゃ勘違いしているんだよ、ということをお話していきたいと思います。
「オールドタイプ」は、急速に価値を失っていく
昭和から平成、令和と移り変わり、日本は大きく変わりましたよね。バブル期までの世界が驚く経済成長の時代は去り、大企業ですら倒産する競争時代がやってきました。家庭にも市場にもモノが溢れ、人々の消費行動は変わっていったのです。
終身雇用が揺らぎ、成果主義が加わり、少子高齢化が顕在化、生活習慣や人生観にも変化が現れて、インターネットをはじめ、新しいテクノロジーがビジネスや暮らしを大きく変えました。
昭和の時代から考えると、実はとんでもなく大きな変化が進んだ日本。そんな中、ビジネスパーソンに求められる思考・行動様式が、変わっていないはずがないのです。
そのことにおぼろげに気づいていた人も少なくなかったと思いますが、これを明快に言語化し、書籍として世に送り出してくれたのが、山口周氏の『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』という本です。
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山口氏は本の冒頭で、本のメッセージをずばり書き記しています。
20世紀の後半から21世紀の初頭にかけて高く評価されてきた、従順で、論理的で、勤勉で、責任感の強い、いわゆる「優秀な人材」は、今後「オールドタイプ」として急速に価値を失っていくことになるでしょう。
一方、このようなオールドタイプに対置される、自由で、直感的で、わがままで、好奇心の強い人材=「ニュータイプ」が、今後は大きな価値を生み出し、評価され、本質的な意味での「豊かな人生」を送ることになるでしょう。
頑張っているのに報われないと思っている人へ
本書の執筆背景について、山口氏はこう語ります。
「成功の復讐とでも言うべきか、昭和型の価値観が、いろんなところで悪さをしている感覚があったんです」
オールドタイプの思考・行動様式が、現代の問題を拡大再生産していることにも気がついていたのです。世界中でゴミが深刻な問題を引き起こしているが、これは「量的な向上」を無条件に是とするオールドタイプの思考・行動様式が生みだした結果でもあります。
「社会的な地位にある人が、今の感覚ではみっともないと思えることをしている姿を見て、強烈な嫌悪感を持っている若い人もいたんですね。彼らからすれば、裏切られたという感覚を持っていたと思う。自分たちはあんなふうになってしまうのか。勉強すれば成功できるとか、会社は悪いようにしないとか、信じていたのに嘘だったんじゃないか、と」
だから読者として意識したのは、頑張っているのに報われないと思っている人だったと山口氏は語ります。
「言われた通りに頑張ったとか、いい大学を出ましたとか、大きな会社に入りましたとか、一生懸命やっているのに報われ感がないし、評価をされている感じもしない。この先に、何か自分の人生が開く感じもない。頑張っているんだけど、モヤモヤしている人です」
それは、頑張り方が間違っているのだ。
「オールドタイプのゲームを戦ってしまっているんですよ。頑張り方のレイヤー、努力のレイヤーを変えないといけない。レイヤーがずれている可能性があるんです。そういう人は、本を読んでもらえば、自分が間違った方向に向かっていることに気づけるんじゃないかと思います」
誰にとっての正解は、もはや人生にない
一方で大事なことは、この方向に行けばいい、という誰もにとっての正解は、もはや人生にはないということです。
「それを前提とした戦い方が、この本には書かれていると思うんです。不確実性が高い中での戦略というのは、確実性が高い状況における戦略とは変わってくる。いいこと、悪いことの価値観は、時代の文脈の中でできあがっていくわけですが、人間の頭は保守的ですから、状況の変化より反応が遅くなってしまうんです」
世の中が変わっているのに、必要な価値観が変わっていないとすれば、いずれその歪みは揺り戻しとなって直撃します。そうなる前に、対処が求められるのです。
やり続けること、やり方を変えていくことを模索していくしかないのです。
成功した人の話は、あくまで参考程度にしか過ぎず、あなたが同じように努力すれば報われる、というわけではないのです。
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