日本では、運動部の活動が長時間に及んでいることが指摘されてきました。
そのために、運動部活動の顧問をする学校の教員にも少なからぬ負担がかかっているといいます。
スポーツ、音楽、芸術などの課外活動は、学校から切り離しても成立するのでしょうが、教科教育を補完する学校教育の一環として捉えられてきた面もあります。
生徒が民主主義や自主性を学ぶために役立つものと考えられたり、生徒の非行を防ぐためのものと捉えられたりしてきました。
それに、教育的に意義のあることだから、より多くの生徒がその恩恵を受けるべきだと広がってきたのでしょう。
だから、一部では肥大化してしまい、自主的な活動なのに全生徒に入部を義務付けたり、活動量過多に陥ってしまったと考えられます。
運動部活動の戦後と現在』(中澤篤史著、青弓社)には、日米英における中学・高校運動部活動の諸特徴の表が掲載されています。
この表によると、
●日本のほうが部活動の数と参加人数が多く、日本と比べると米国は部活動の数と参加人数は少ない。
●米国の運動部がトライアウト制で、競技能力によって入部希望者を選抜する場合がある。
●指導目的は日本は「人間形成」、米国は「競技力向上」とされています。
米国の運動部活動はトライアウト制で入部希望者を選抜し、競技力向上と試合での勝利を目的としています。
このように書くと、米国の運動部活動は競技志向で、人間形成や教育から切り離しているのだな、と感じる読者が多いのではないでしょうか。
しかし、米国の指導者や保護者は、トライアウトによる選抜過程と試合で勝つための過程そのものが、人格形成に役立つと考えているのです。
学校の運動部なのに、競技力によって、入部希望者を制限するのは、冷徹なことのようにも思う人もいるでしょう。
けれども、米国の学校運動部のコーチたちは「もしも、生徒が入部するのに十分でないのならば、もっとうまくなるために練習しなければならない。(入部は)自動的に与えられるものではない。そのことを学ぶ必要がある」と言っています。
大人になって社会に出ていく前に、競争して居場所を勝ち取るというプロセスを経験することが必要だと見なされているのです。
指導者だけでなく、保護者も、これらの活動は子どもに競争力をつけるために役立つと考えています。
学校の音楽授業の一環としての校内コンサートの席順も、楽器演奏の優劣によって決められています。
米国の社会学者、ヒラリー・レビー・フリードマンは「PLAYING TO WINーRaising Children in a Competitive Culture」という著書で、スポーツ活動を通じて競争心の強い子どもを育てたいとする保護者の様子を描いています。
フリードマンはCompetitive Capitalという言葉を造って、この状況を表現しました。子どもたちがトライアウトや試合の勝ち負けを通じて「競争心の元手」を増やしていき、将来に役立てることを期待しているのです。
フリードマンが米国の保護者にスポーツ活動によって子どもが得たものを話してもらうと、大きく5つに分けられたといいます。
2、負けから、将来の勝利へ向けて立ち直ること。
3、時間の制限のあるなかで、どのようにパフォーマンスするかを学ぶこと。
4、ストレスのかかる状況で、どのようにすれば成功するのかを学ぶこと。
5、他人の視線のあるなかでパフォーマンスできる。
保護者の聞き取りからまとめた5つの項目は、米国が競争と能力主義の社会であることと結びついています。
能力主義の社会で競争を勝ち抜き、仕事に就いて収入を得てきたという手応えのあるアッパーミドル層の保護者ほど、子どもにも、それを身につけて欲しいと考えているようです。
米国の高校運動部が競技志向で、トライアウト制をしいているからといっても、多くの生徒はプロにも、オリンピック選手にもなれません。高校運動部の経験者でも、スポーツによって将来、生計を立てられるのは、ごく一部の人たちです。
けれども、人生の最初の競争を勝ち抜くことで、将来に必要なものを身につけられるという思惑があります。
米国の大学受験システムが、学力評価ではなく、総合人物評価であることとも大いに関係しています。
この総合評価には、スポーツでの成績も含まれるから、全方向的な競争力が必要になるのです。
日本では、教育的に良いことだからという理由で、運動部活動は拡大し、一部で肥大化していきました。
米国でも、大人になったときに競争主義、能力主義を生き抜かなければいけないからと、それらを子どものスポーツに取り込むことの弊害は決して小さくないです。
競争から脱落し、運動する機会を持てない子どもの問題。
ランキングや勝敗を重視することで基礎的な技術練習が後回しになる、競争により子どもの心身がすり減るなどの問題です。
教育的意義や人格形成に役立つと考えられるときほど、慎重に進めるくらいでちょうど良いのかもしれませんね。
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