「諦める」という言葉について、皆さんはどんな印象を抱きますか?
恐らく、大半の人は「否定」や「ネガティブ」なイメージを連想することでしょう。特に、この日本においては、諦めることは「逃げ」や「努力不足」だと認識される傾向が非常に強いし、「諦めなければ夢は叶う」と根性論を叩き込むことがほとんどでしょう。
しかし果たして本当に諦めることは悪いことなのでしょうか。私は決してそうは思いません。諦めることによって人を救うこともあると思いますし、「自己肯定感」にも繋がっていくのではないかと考えています。
今回は、多くの人に諦めることの本当の意味を知ってもらうため、諦めることの大切さについて書いていきたいと思います。
自己肯定感
「うらやましい」を嫉妬に変えてしまうネガティブ感情には、さまざまな種類があると思いますが、私が特に影響力の強い存在だと感じているのが、「自己肯定感」だと思います。
人が他人などに嫉妬してしまう背景には、自分への自信のなさや自己肯定感の低さがあり、そこから無価値感や無力感などのネガティブな感情を引き起こしています。
もし、あなたが自分に自信を持てたとしたら、嫉妬してしまうような状況に出会っても、これまでとはまったく違う感じ方ができるかもしれません。
たとえば、あなたが自分の仕事に自信や誇りを持っていて、与えられた業務を一つひとつ丁寧にこなしているという自覚があるならば、同僚の成功を耳にしたときに、嫉妬ではなく「あの人は優秀だし、とても頑張っていたし、成功するのは当然だ」と素直に認め、賞賛することができます。
さらに「今度は自分の番だ!もっと頑張ろう!」と、同僚の成功を励みにすることができると思います。
「諦める」=「悪」の弊害
冒頭でも述べましたが、多くの人が共有している「諦めることは悪いこと」という価値観は、学校教育で培われたものです。日本の学校教育は、全員が一律に同じことをすることを主眼として作られています。
皆で同じ授業を受け、皆で同じ行事をこなし、皆で卒業する、それはある意味、協調性を養うためには優れている教育と言えます。
しかしこのことで一つ大きな問題が起こってしまうのです。
それは、「全員が平等である」、と思い込んでしまうことでしょう。
人は皆、生まれ持っての才能、家庭環境、身体能力、何一つとして同じではないのです。
しかし、子供の頃から皆で一律に同じことをすることで、そのことに気づきにくくなってしまうのです。周りができているのに自分はできない結果が続くと、やがて、その原因を自分のせいだと思い込むようになってしまいます。
当然、それは自信を失うことにも繋がるし、時には、そのせいで他者から愚弄されることもあるでしょう。
ですが、本当はたまたまその人にはその分野が合っていないだけであり、全ての責任が個人にあるわけではないのです。
生まれ持った資質や能力は人によって違うということを考慮せずに、「努力をすれば誰でも同じ結果がついてくる」という考えはひどく傲慢であると思います。
そういう人達は、努力を妄信するあまり、大事な本質が見えなくなってしまってと思うのです。
もちろん、努力が全く無意味というわけではないです。
天才でもない限り、最初から何でもできる人などいないし、努力は確実に成功の可能性を上げる要素ででしょう。
しかし、努力をすれば必ず結果がついてくる、という考えは、上の者を傲慢にさせるだけでなく、下の者を余計に苦しませることに繋がると思うのです。
大事なことは、「努力をしても全ての人が同じ結果に繋がるわけではない」という認識をしっかりと持つことです。
どうか、あなたも努力という名の呪縛にとらわれないでもらいたいと思います。
「諦める」から得られるもの
物事がうまくいかない人が、人生を好転させるためには何が必要でしょうか。
その答えは、できないことをすぐに諦めることだと思います。
なぜなら、諦めることで、その人は大切なことを掴むことができるからです。
それは、「他の道に進むことができる」ということ。
人は決して平等ではないのです。
しかし、多くの人はその事実から目をそらし、「努力すれば必ず結果はついてくる」と信じるからこそ、人生に苦しむことになるのです。
もし、行き詰った時にすぐにその道を諦め、他の道に進む選択を持てたなら、その人は他の分野で成功できるかもしれません。
つまり、言い換えれば、諦めることができない人は、自分の人生を潰すことにもなりかねないのです。
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